この話はヴィレヴァンで働くMさんの実体験に基づき私Ryoが作成したものである。
田舎
僕の生まれはF県にあるHという地名の田舎だ。
周りで遊ぶ場所は「田舎」と称される他の地と変わらず
川と小学校のグラウンド、そして山。
今は差別的な用語といわれる地域を指す言葉を用いた催し物があり、
出生率も少なく、鉄砲(正しくは猟銃)持ちの猟師が猟犬を連れて歩き、
牛がのっそりと道を歩く。そんな田舎が僕の生まれ故郷だ。
但し田舎といってもNo. 1の田舎だ、とは言えない、
まぁ一見すれば普通の田舎具合の場所。
そんな普通の田舎に住んでいた自分が、H出身者以外と話すと、
話をききかえされる事や冗談と思われるような事が度々あった。
それは景観や交通の不便さなどではなく、
奇妙な場所やそして特に聞き返されたのが風習についてだった。
なにか
僕が通っていた小学校は在学中に建て直しをした。
その建て壊す前の学校には、、いやこの話はまた話すとして、
新しく建てられた小学校は当時小学生だった僕にとっては近未来の建物だった。
前の小学校はおんぼろな木造建て。
対してこちらの新しい小学校はコンクリートで塗り固められた要塞のようだった。
そんな新しい小学校の裏手には飼育小屋があり兎と鶏がいて、
その更に裏手に墓地があった。
ただ、特段その墓地が怖いというわけではない。
自分の先祖や見知った近所の先祖のお墓しかないその場所は
当時の僕にとってはただ人がいないだけの静かな場所であり、
特に小学校時代いじめにあっていた僕にとっては
休み時間にこっそりいって逃げ隠れる事ができる楽園のような場所だった。
そんな楽園の近くに不思議な場所があった。
それは固く閉ざされた蔵。コンクリで固められた六畳半程度の蔵。
唯一の扉はこれでもかと言わんばかりの大きな、
そして錆びついたカンヌキ型の南京錠が封をしていた。
その扉は観音開きのようになっていて隙間から覗く事ができるが、
中は暗く見通す事はできず何がはいってるのか気になった僕が母に聞くと
「お神輿がはいっているのよ」と言われたが、
生まれてからこの地で神輿が担がれている場面を見た記憶がない。
どこで見れるのだろうと子供心に感じていたが
少し不思議な場所程度だったある日、
祖母と近くを通った際何気なしにその蔵を指差して
「中に何はいってんの」と聞いてみた。
すると祖母は「龍がいんだ~」と一言。
そして「バチあだっから指さすな」と怒られた。
中を見る事はできないが、その中にあるのは神輿なのか龍なのか、
シュレディンガーの猫よろしく、
観測しなければ未知は未知のままであり何者にも変化できる、
そんなSF的な世界を現実で感じて
(当時既にSFや特撮が好きだった僕は)奇妙な興奮を覚えたのを記憶している。
そうして僕の中ではそこは奇妙スポットの一つと認定された。
だがそんな奇妙な場所はいくつもあり、
蛇沼、奇妙な仁王像、神社近くの洞穴、などなど当時子供だった僕にとって
そして大人になった今でも摩訶不思議な場所は周りにたくさん転がっていた。
奇妙なスポットを少しだけ紹介したいと思う。奇妙な仁王像と神社にしようか。
その仁王像は、それぞれが対になるように一部がなくなっている仁王像2体。
なのだが、何が奇妙かと言えば、その仁王像の位置だ。
男坂女坂
仁王像は神社の近くにある。
それは普通なのだと思う。だがその仁王像は一見すると見えないのだ。
それは仁王像のルートと神社のルートが全く別で、
仁王像を拝むためには神社がある小山に別ルートで上がらなくてはいけない。
そしてその道をすすむとすぐに木々に隠された木造の小屋があり、その中に像が佇んでいる。
だがそれだけだ。
それ以外にも何もない。
何かしら意味があって別にしているのだと思うのだが、
その理由が分からず奇妙スポットとして子供心に認定されたが、
前出の龍がいる蔵とは違い僕にとっては敬遠してしまう場所となった。
それは奇妙は奇妙なのだが、
奇妙だけでは片付けられない、なんとも言えない恐怖を感じたからだ。
そんな仁王像近くの神社に行くためには、
男坂女坂と呼ばれる道を上らなくてはいけない。
女坂はいたって普通の石畳の坂。
対して男坂は手を使って登るような
ロッククライミングのようにして登る坂、、とは言えない斜面。
そして男性は男坂から登らなくてはいけず、
女性は女坂からしか登らなくてはいけない。
そして男性は女坂を登る事は良しとされないと教えられた。
それは男性が女坂を登る最中に転ぶと3年
(いや6年かもしれないがまぁその程度の年数)寿命縮むからだと。
そのため子供の頃女坂からこっそり登る際は
それは慎重に慎重に一段一段登ったものだ。
まぁそのような話をしているのは祖母などの
年齢の人たちだけだったが、
それでも奇妙な坂に僕の心は当時踊ったのは確かだ。
とまぁ、ここまで駄文を書いて長くなってきたので、
奇妙なスポットや奇妙な風習の話ではないが、
地元にいた時に体験した不思議な話、
そしてタイトルのお話をして終わりにしたいと思う。
(本当は神社の他の話や、伝えていない風習の話もしたいのだがまた機会があればどこかで)
赤い液体
自分の祖母は昔ながらの風習や地元に伝わる妖怪の話をしてくれた、
優しくそして時に厳しい最高の祖母だった。
そんな祖母は、僕が怪我をするとよく自分の唾をつけてきた。
唾つけとけば治る!を地でいく祖母。
やめてくれと言っても押さえつけられて唾つけられたのは
祖母がいない今となっては不思議といい思い出だ。
そんなある日少しだけいつもより激しい傷を僕は作ってしまった。
どうしてそんな傷ができたのか、どの程度の傷なのか、
そこはもう覚えていない。
覚えているのは祖母が神棚の下にある引き出しから
赤い液体がはいった大きな瓶を出してきた事だ。
祖母はその瓶を開けて中に入ってる赤い液体を
僕の傷口に塗ってきた。
そうして「これで大丈夫だからもう気にすんな」とか
そのような事を言われた記憶がある。
そして祖母はその赤い液体が入った瓶をまた
神棚の下の引き出しにしまっていた。
しまう直前赤い液体の中に何かはいってるように見受けられた。
だが赤い液体は濁っており何がはいってるかはその時は分からなかった。
そして不思議な事に僕の傷は次の日治っていた。
正直言えば完治していたかは記憶があいまいだが、
ほとんど治っていた事だけは覚えている。
いつもとは違うありえない早さで。
その後も祖母は深い傷をつくる度に
その赤い液体を僕に塗った。
そして傷はあっという間に治った。
何回かそれが行われるうちに
その赤い液体に長い蛇のように見えるもの、
またはムカデのように見える何かが見えた事があった。
そして奥に何か大きな塊のようなものも見えた。
だがなぜか中身を聞いてはいけない気がして
祖母に聞くことはなかった。
それから傷をつくっても
祖母に見せる事もなくなり反抗期を迎えて
思春期真っ只中の高校三年生にあがる時、
祖母が倒れてしまった。
早く救急車を呼び助かるはずだったのに
自分の取るに足らない反抗期のせいで遅くしてしまった僕は、
贖罪と自分の命の代わりに
祖母に生きて欲しいという願いから
親に伝え放課後は寝泊りしたりしながら
病院で一人看病を続けたが目覚める事はなかった。
祖母の死後遺品をもらいたいと伝えて
祖母が大事にしていた色々なものを整理していたある日、
ふと懐かしくてあの赤い液体の入った瓶を探した。
小学生以降は特にその瓶のお世話になる事はなかったが、
あるであろうと思い家中探してみたが、
だがそれはついぞ見つける事は叶わず、
そして母や弟はそれを見た事はないと言う。
あれがなんだったのか、
そもそも夢だったのか、確かめる術はもう無い。
だが未知は未知のままにしておくと、
それは存在している事にもなるのであれば、
あの瓶は見つからないために僕の記憶と思い出の中に
祖母の顔と優しと共に永遠に存在し続けるのだと思う。
そしてこの話が本当かどうか調べたい人がいても
地元について教える事は申し訳ございませんがありません。
地元はのどかな本当にのどかな、
そして地元の人だけで暮らしている地なので、
個人的な想いからひっそりとしておきたい。
前に某雑誌編集者から取材したいといわれた時も断った。
自分で調べていくならいいが僕から教えることはありません。
だからこの話が本当じゃないと思われればそれも仕方ないと思う。
だがそれも確かめる術がない未知の事なので、
本当かどうかそれはその人の想い次第でいいかと思う。
それではまたどこかで話す機会あれば。
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