おぱんちゅを履いた優しさの権化
皆さん、こんにちは。志摩と申します。
突然ですがマスコットキャラクターって古今東西たくさんいらっしゃいますよね。
今回記事にさせていただきますキャラクターなのですが、私が最初うけた衝撃を皆さんにも受けていただきたいと思います。
いかがだったでしょうか。
かわいらしいおぱんちゅを履かせたらかわいいハート(実物)を渡してくれましたね。
滑らかに動くかわいらしいおくち、うるうるのおっきいつぶらなおめめ、一切の躊躇なく胸を貫くふにふにのかわいらしいおてて。
ハート(実物)が出ちゃっても、おぱんちゅを履かせてくれた人の喜ぶ顔が見たかったのか、じっとこちらを見つめてくる姿はとてもいじらしく、優しさの尺度を考えさせます。
時間経過と共に色が変わっていっちゃうのが少し切ないですね。
等価ではない優しさのやりとりがなんともシュールだと感じたものです。
そう、このデケェ優しさを秘めた可哀いそうななおぱんちゅを履いたこのキャラクターこそ
おぱんちゅうさぎ
ちなみに可哀いというというのは(可愛い)と(可哀そう)をドッキングした言葉としてこちらでは使わせていただきます。
こう、人の良心を刺激されるような感覚になりませんか?
形容しがたい感覚になっちゃいませんか?自分だけでしょうか。
一枚の画像でここまで心乱されるゆるーいキャラクター、自分にとっては初めてです。マジで。
もうここまで読まずTwitterのリンク跳んでタイムライン遡っちゃっているのではないでしょうか。
それもまた良し!
おぱんちゅうさぎの魅力
何故こうもおぱんちゅうさぎから目が離せないのでしょうか。
キャラクターの魅力って、沢山の形がありますよね。そのキャラの持つストーリー性であったり、バックボーン。コンセプトであったり、見目のかわいらしさなど・・・。
ーーーただかわいいで片付けたくない。
先ほど形容しがたいと述べましたが、おぱんちゅうさぎのかわいさを言語化したい。
自分はまだおぱんちゅうさぎのかわいさの根源に辿り着いていないのではないか。
根源なんてあるのだろうか、このかわいさの坩堝に。
人様に「かわいい好きなキャラクターって何?」と尋ねられた時に納得する言葉で伝えられたらもっと紹介、あるいは布教する際に魅力的かつ鮮明なそのキャラのイメージが湧きやすいのではないか・・・。
それに”かわいさに理由はなくてもかわいい“けど、かわいいに理由つけたらもっとかわいくなるのではないのでしょうか。
なので。私が感じたおぱんちゅうさぎのかわいさを述べさせてください。本当に勝手で申し訳ないです。
行きます!!
- 小さな体で一生懸命に人に優しくしてくれるところ。
- ちっちゃいのに頑張って人間社会の労働に組み込まれているところ。
- 分け隔てなく万物に気を使っているところ
- 哀愁
- お口のムニムニ感。動くとさらに可愛い
- 気を使いすぎて心配になる
- ちゃんとおぱんちゅ履けてエライ
- この世の理不尽さに負けない心意気
- キュートアグレッション
- 喜怒哀楽しっかりしててエライ
- 意外と表情豊か
- 友達にも気を使っている
- ひどい目にあってるのに次にはちゃんと生きていること。
- 理不尽な目にあっているのにこの世を憂いていないところ
- ↑だし、他者に対しての優しさが尽きないところ
- 不測の事態に対しての対応力、そしてそれを達成できる実力
- 友達をとっても大切にしているところ
- 意外とミステリアス
- 危険と隣り合わせがち
- かわいい見た目に対して体の耐久力がバグっている(ゾウを二匹を持つ、深海素潜り、推測だが太平洋横断してると思われる。)
- アンニュイな雰囲気も出せる万能感
- 意外とどこにでもいそう
- 困っている人の所に現れる善の妖精みたいな存在なのかもしれない(自説)
- コミュニティと思われる場所に所属する描写があるため、友好関係が広いのかもしれない
- ↑単独で存在しているのか、複数体存在しているのかもしれない。
- 生体と世界観がミステリアスでかわい~♡(荒廃した世界感もあるのかもしれない)
でもやっぱり一番は・・・
可哀そうな目にあいつつも、どこか一生懸命なひたむきさ。
なんてことを勝手におぱんちゅうさぎに抱いているのです。
※私が勝手におぱんちゅうさぎについて考察したものです。こうである、決まっているものではないです。ご了承ください。
だんだんおぱんちゅうさぎの可愛さが形容出来てきたかもしれませんね!
とりあえずここまでにしときましょうか。
後半ちょっと考察めいた感じになっちゃってますけどそれもまた魅力だとおもいます。
書いてるうちにとっても愛しく思えてきましたね。意外とタフなところとか、いいですね。大好きです。
魅力はまだまだ書けてないのもたくさんあるので今は後回しにします。
おぱんちゅうさぎのこれからに祝福あれ!
長々と駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
とっても可愛くて可哀いおぱんちゅうさぎを記事に書かせていただきました。
今日はどんな目にあってしまっているのだろうか・・・。とか日々を過ごす傍らでおぱんちゅうさぎに想いを馳せてしまいますね。新たなる習慣の始まりです。
これからもおぱんちゅうさぎがきっとたくさん大変な目にあいつつも、愛らしいキャラクター性とシュールな笑いを楽しみにしております。
頑張れ、おぱんちゅうさぎ!!
それでは、失礼いたしました。
そういえば、先ほどおぱんちゅうさぎの魅力を一旦区切らせていただきましたが、こちらの方で吐き出させていただきます。まずおぱんちゅうさぎのひたむきさ、今の現代人が体験したであろう場面、そこに皮肉がきいていると思いませんか。それを可愛らしいタッチとおぱんちゅうさぎが織りなすストーリー性が人を引き付けて止まないのではないでしょうか。度々おぱんちゅうさぎにみられる他の人との関心の無さが際立つシーンがあります。無関心さの中でのおぱんちゅうさぎの優しさ、他者を思いやる行動が対比になっているのではないだろうかと私は思います。そして時折みせる悲しげな描写が、我々に寄り添ってくれているのではないでしょうか。人のために頑張ってくれているおぱんちゅうさぎ。しかしその優しさも無限ではないのです。優しさが必ずしも報われるとは限りません。なのになぜおぱんちゅうさぎは我々に優しくし続けてくれるのか―。この問いを与えてくれたおぱんちゅうさぎに、私はとても魅力を感じてしまったのです。おぱんちゅうさぎを見ていると、人に優しくしたが報われなかったが故にあまりお節介はしないことにしよう。と感じたことを思い出してしまいます。それでもこの世界のどこかでおぱんちゅうさぎは人や世界に優しくし続けているのかもしれません。そう思うと勝手ながら人に優しくするのも悪くない、だっておぱんちゅうさぎは今も誰かに、何かに優しくしているのかもしれないのだから。そういう優しさを連鎖させていくー。それこそがおぱんちゅうさぎが我々に伝えていることなのではないか、と私は考えます。誰かのために身を削るというのも悪くない、おぱんちゅうさぎはあの小さい体で頑張ってくれているのです。おぱんちゅひとつだけ身に着け、必要ならばその大切なおぱんちゅでさえも投げ出すあの大きい優しい心。そこがおぱんちゅうさぎの魅力ではないかと、から回ることもあるあのかわいいおぱんちゅうさぎに少しづつ、少しづつ勇気と優しさと思いやりという大切なものを呼び覚ましてくれているのではないでしょうか。ありがとうおぱんちゅうさぎ、ありがとう。
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